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物産展情報を気ままに綴ります。
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(初出:2005年7月26日)

宅配便のトップブランドかつ、パイオニアであるヤマト運輸が、
宅配便を開始したのはわずか30年程前のことです。

ヤマト運輸の社史によると、1976年1月に
取り扱いが始まりました。当時は関東近県のみでした。

(先日亡くなった小倉元社長の日本経済新聞連載の
「私の履歴書」にもあるように、運輸省との
運送業の路線認可をめぐって、大変な戦いが
繰り広げられ、全国にネットワークを広げるのには
時間がかかりました。)

いまでは、日本全国に、1個から、迅速に(ほぼ翌日)、比較的安価で、便利に
荷物を送れるのは当たり前になりました。

それどころか、日付指定ひいては時間指定も可能になりました。
そして冷蔵や冷凍で荷物を送れるようになっています。

かつて宅配便が登場する以前の物流手段は、
極めて限られたものでした。

まず、小口輸送自体が比較的高価でした。
また郵便小包か鉄道小荷物(チッキ)しかなく、
時間もかかりました。

翌日というのは近距離で無い限り不可能で、
日付指定などは望むべくもありませんでした。
※受付日で1日、400kmごとに
1日かかるというのが目安でした。

しかも、集荷は無いので郵便局や駅に持ち込む必要がありました。
配達ができるのは郵便小包のみで、
鉄道小荷物は駅まで取りに行く必要があったのです。

大口輸送は比較的安価であったもの、
時間がかかるのは同じでした。
当時はトラックをチャーターするか、
コンテナなどを使用して、
トラック輸送と組み合わせて鉄道貨物で
輸送するしかありませんでした。

このような状況で当時の物産展の物流は困難を極めました。
出店者自らトラックを運転したり、チャーターしたり、
或いは鉄道貨物で運んだりしていたのです。
当然低温物流は望むべくもありませんでした。

このころは、たとえば北海道物産展で
じゃがいも・たまねぎ・豆・昆布や身欠きにしんを
東京に持ってくること自体が奇跡に近いことでした。
とてもよく売れたといいます。

しかも、鉄道貨物輸送でしたから、
カビが生えていて、それを払い落として
販売したこともあったというのです。

客の側も、それを諒として購入していたというのです。
いまではとても考えられないことです。

しかも、物流に時間がかかるため、
1週間の物産展では、売れ筋の商品が追送できず、
売り切れても商品の追加は不可能でした。

このころ低温物流といえば、保冷車などなく、
トラックに氷やドライアイスを満載にして
商品を運んでいました。

かろうじて低温物流は可能でしたが、
近距離に限られ、長距離の定温物流は不可能だったのです。

低温での定温物流が可能になったのは
機械式保冷車の登場がきっかけです。

低温物流の大手ランテックによると、
1972年ごろのことです。
しかし、九州など限られた地域での事業でした。

ヤマト運輸も徐々にクール便事業を開始しますが、
全国ネットワークを構築し終えたのは1988年のことでした。

しかし、このクール便によって、
物産展の商品構成は自由度が高まりました。
生鮮食品、生菓子などの物流が容易になったのです。

こうして便利になった現在の物流業者については
次の機会に続編でお話しましょう。
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